石川雲蝶を始めとする栃尾の宮彫り
「日本のミケランジェロ」と称えられる石川雲蝶は、文化11年(1814)江戸の雑司ヶ谷(現在の東京都豊島区)で生まれ、本名は石川安兵衛といいます。20代で江戸宮彫りの一流派石川組の本流門人として名を馳せ、30代で越後に入りし、三条・魚沼をはじめ近隣各地で活躍し、ここ栃尾にも宮彫りを残しました。
栃尾には石川雲蝶のほか、ともに活躍した小林源太郎をはじめ、江戸から明治期の職人の手による見ごたえのある宮彫りが数多く残っています。
彫刻で埋め尽くされた「秋葉神社奥の院」
火伏せ(ひぶせ)の神として名高く「火防日本総本廟秋葉三尺坊大権現」として崇敬を集める秋葉神社(あきばじんじゃ)。その奥の院は弘化3年(1846)に落慶した後、彫刻はやや遅れて、石川雲蝶と小林源太郎により8年の歳月を掛け安政5年(1858)に彫り上げられました。
奥の院全体の宮彫りは二人の共作で、和様と唐様の折衷式で、欅の板に刀痕も鮮やかに力強く生き生きと彫られて、土台から破風にいたるまでくまなく彫刻で埋めつくされています。その特徴は、総欅造りの社殿に中国の吉祥霊獣で隈なく飾り、木地彫り、透かし彫り、籠彫りの彫り技で構成されているところです。
東面の「烏天狗の酒宴」、南面の「大天狗の前での牛若丸と烏天狗との試合」、西面の「烏天狗の敗北」が石川雲蝶によるものです。
※鞘堂や天候により暗く感じる場合があるため、懐中電灯があると重宝します。
秋葉神社奥の院 長岡市谷内2-8-5
彫刻で埋め尽くされた「秋葉神社奥の院」
奥の院全体の宮彫りは二人の共作で、和様と唐様の折衷式で、欅の板に刀痕も鮮やかに力強く生き生きと彫られて、土台から破風にいたるまでくまなく彫刻で埋めつくされています。その特徴は、総欅造りの社殿に中国の吉祥霊獣で隈なく飾り、木地彫り、透かし彫り、籠彫りの彫り技で構成されているところです。
東面の「烏天狗の酒宴」、南面の「大天狗の前での牛若丸と烏天狗との試合」、西面の「烏天狗の敗北」が石川雲蝶によるものです。
※鞘堂や天候により暗く感じる場合があるため、懐中電灯があると重宝します。
機神様を具現化した宮彫り「貴渡神社」
貴渡神社(たかのりじんじゃ)の彫刻は、石川雲蝶によって手掛けられ、嘉永元年(1848)に完成しました。
栃尾の地場産業である栃尾紬の開発に尽力した、植村角左衛門貴渡を始祖として建立された神社です。
栃尾紬の創製者大崎オヨを織姫、植村角左衛門貴渡を翁に見立て、養蚕から機織りまでの過程を絵巻物風に語り継ぐ彫り物が施されています。織物関係者からは機織り(はたおり)の神様、機神様として崇拝されてきました。
また、上部の組物間を飾る十二支も雲蝶の作です。
※ 普段は施錠されているため、拝観の際は事前にご連絡ください。(栃堀区事務所 0258-52-3521 受付平日9:00~12:00)
※ より良い状態で後世に残すため、維持管理費として「おひとり200円」のお賽銭にご協力ください。
貴渡神社(たかのりじんじゃ) 長岡市栃堀
機神様を具現化した宮彫り「貴渡神社」
栃尾の地場産業である栃尾紬の開発に尽力した、植村角左衛門貴渡を始祖として建立された神社です。
栃尾紬の創製者大崎オヨを織姫、植村角左衛門貴渡を翁に見立て、養蚕から機織りまでの過程を絵巻物風に語り継ぐ彫り物が施されています。織物関係者からは機織り(はたおり)の神様、機神様として崇拝されてきました。
また、上部の組物間を飾る十二支も雲蝶の作です。
※ 普段は施錠されているため、拝観の際は事前にご連絡ください。(栃堀区事務所 0258-52-3521 受付平日 9:00~ 12:00)
※ より良い状態で後世に残すため、維持管理費として「おひとり 200円」のお賽銭にご協力ください。
古刹にふさわしい宮彫りの数々「曹源寺」
山号額の両脇を飾る彫り物が石川雲蝶の作と伝わっています。重厚感のある「三国志、唐人馬上の図」と「足利尊氏が鎮西に逃れる図」の彫り物は、古刹の正面を飾るにふさわしい彫り物といえます。
その右側の廊下に面した8枚の欄間が小林源太郎によるものです。
そのほか、蛙股の翼をたたえ鷹と融合したかのような龍の彫り物、真っ赤な雲の中からこちらを本堂の炎をまとった龍の彫り物も必見です。
曹源寺 長岡市北荷頃769甲 0258-52-2791
古刹にふさわしい宮彫りの数々「曹源寺」
その右側の廊下に面した8枚の欄間が小林源太郎によるものです。
そのほか、蛙股の翼をたたえ鷹と融合したかのような龍の彫り物、真っ赤な雲の中からこちらを本堂の炎をまとった龍の彫り物も必見です。
海老虹梁に絡みつく双龍「羽黒神社」
羽黒神社は音羽御前が帰依した羽黒大権現の本尊(十一面観音)を祀った外山家の屋敷神でした。外山家の私社であった羽黒神社が村の鎮守となって、享保12年(1727)現在の地に建立されると瑞雲寺が別当となり同社を管掌しました。明治維新を迎えると神仏分離令が施行され、瑞雲寺は羽黒神社の別当を辞任し、本尊や鰐口などの仏具は瑞雲寺に移転され現在に至ります。
おしくも江戸時代末期に焼失してしまいましたが、現在の社殿はその直後に再建され、みごとな宮彫りが施されています。
宮彫りの見処は、夜な夜な神社裏にある血の池に水を飲みに行くという噂から、五寸釘で足を打ち止められたと伝わる、海老虹梁(えびこうりょう)に絡みつく巨大な双龍です。細貝丈八によるその素晴らしい彫りをぜひご覧ください。社殿の垂木に連なる獏(ばく)と唐獅子も必見です。
境内には、羽黒神社のある小貫の出身で、アサヒビールを創業し阪神電鉄の初代社長となるなど関西財界の礎を築いた外山脩造翁の墓碣銘(ぼけつめい)や、市文化財の大欅や樫木、耳の神の正倉神社、龍が飲みに行った血の池など見どころ豊富です。
羽黒神社は、平成31年、多額に寄進をいただき大規模修繕を実施いたしました。本堂の天井を飾る49枚の色鮮やかな花々の天井絵は、その際栃尾の画家7名により新調されたものです。
羽黒神社 長岡市小貫
海老虹梁に絡みつく双龍「羽黒神社」
おしくも江戸時代末期に焼失してしまいましたが、現在の社殿はその直後に再建され、みごとな宮彫りが施されています。
宮彫りの見処は、夜な夜な神社裏にある血の池に水を飲みに行くという噂から、五寸釘で足を打ち止められたと伝わる、海老虹梁(えびこうりょう)に絡みつく巨大な双龍です。細貝丈八によるその素晴らしい彫りをぜひご覧ください。社殿の垂木に連なる獏 (ばく )と唐獅子も必見です。
境内には、羽黒神社のある小貫の出身で、アサヒビールを創業し阪神電鉄の初代社長となるなど関西財界の礎を築いた外山脩造翁の墓碣銘(ぼけつめい)や、市文化財の大欅や樫木、耳の神の正倉神社、龍が飲みに行った血の池など見どころ豊富です。
羽黒神社は、平成 31年、多額に寄進をいただき大規模修繕を実施いたしました。本堂の天井を飾る 49枚の色鮮やかな花々の天井絵は、その際栃尾の画家7名により新調されたものです。
「南部神社」阿吽の唐双獅子
立派な欅の一枚板を使い、阿吽の唐双獅子と牡丹、波上の白兎、木鼻(きばな)の麒麟の宮彫りが施されています。作者不詳。
南部神社 長岡市森上1062
「南部神社」阿吽の唐双獅子
透かし彫りの極み籠彫り「吉野神社」
木鼻の玉獅子は、透かし彫りの技法の極み「籠彫り」で彫られています。獅子が持つ玉を籠状に彫ることで、玉の中にさらに玉が入っている構造になっています。作者は不明ですが、一説には雲蝶が手がけた物であると言われています。境内が中野俣小学校(閉校)のグラウンドになっており、神社からグラウンドを挟んだ先に鳥居があります。
吉野神社 長岡市西中野俣2317甲
透かし彫りの極み籠彫り「吉野神社」
「十二山神社」花に囲まれた華やかな獅子
市天然記念物の「しだれ桜」で知られる栗山沢区。ここにある十二山神社の社殿には、花に囲まれた獅子や木鼻の漠などの宮彫りが施されています。作者不詳。
十二山神社 長岡市栗山沢
「十二山神社」花に囲まれた華やかな獅子