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上杉謙信公旗揚げの地、
    新潟県長岡市

栃尾観光協会タイトル

■寺院

 歴史の古い町であることから、由緒ある古刹が多い。しかも禅宗・真言宗が多いことも特徴のひとつである。数多い貴重な文化財が山間仏教文化の香りを漂わせている。

真言宗

阿弥陀院阿弥陀院(あみだいん) 長岡市栃掘669 TEL 0258-52-3541
 創立年代は往古にして不詳。慶長3年(1598)、時の住職圓可法印は弘教に功あって、紅衣着用をゆるされ当山中興第一世となる。往昔は宝光院末であったが、明治11年(1878)9月、本山長谷寺の直末となった。元禄13年(1700)改築した旧本堂は腐食甚だしく危険な状態となったため、昭和42年現本堂に新改築、昭和49年宗祖弘法大師生誕1200年を記念して新たに鐘楼を建設した。当山に奉安する延命地蔵尊は、福徳円満の御仏体にして遠近の信者からの信仰はなはだ篤いものがある。

観音寺観音寺(かんのんじ) 長岡市一之貝1315 TEL 0258-52-5882
 大同2年の開創という古い伝説を持つ。本尊に千手観世音菩薩を祀る。

華蔵院華蔵院(けぞういん) 長岡市上塩1989 TEL 0258-52-9417
 当山の開基は不詳である。しかし、当地の古老の言い伝えによれば、鎌倉時代、山岳修験者が当地を訪れ、不動ヶ山に霊気を感得し、庵を結び、不動山妙法寺と称し、国家安泰と済世利民の祈祷所とした。その後、室町期に入り、布山の開発が進み、地域の人々の願いにより布山の中心地に移転された。更に江戸時代の初めに、その利益の効験が領主や土地の有力者に知れるにいたり、現在の沖布の地に伽藍を造営した。以後、不動山華蔵院(ふどうさんけぞういん)と号した。その後ニ度の火災に遭い堂宇は灰燼に帰したが、本尊大日如来だけは不思議にも難を逃れ、今日にいたるまで、十方檀信徒によって守られている。現在の本堂は、昭和51年に改建立された。当山には、大日如来をはじめ、薬師如来、不動明王を安置して、家内安全、息災延命、当病平癒等の人々の諸願成就を祈っている。
大日如来坐像大日如来坐像
 像高33cm余の小像、漆箔仕上げ寄木造り。眼は玉眼で半眼、思索の面持で智挙印を結び結跏趺坐している。室町時代の作と思われる。

遍照院遍照院(へんしょういん) 長岡市山葵谷677 TEL 0258-52-1590
 当院の開基創建は不詳であるが、言い伝えによれば約600年前に下田村字葎谷からこの地に移転されたといわれている。葎谷には今なお寺屋敷が現存している。恵心僧都筆「阿弥陀三尊像」戊辰戦争の際、長岡藩士数名がこの寺にしばらく滞在した。
寺宝として秘蔵されている、恵心僧都筆「阿弥陀三尊像」は年二回、1月16日と8月16日に開帳されている。現在の本堂は、寛永3年建築の茅葺き屋根だったものを改築したものである。

宝光院宝光院(ほうこういん) 長岡市栃尾大町5-14 TEL 0258-52-2425
 中央公園のバス停から、歩いてわずか2分で宝光院の門前に着く。貞観年中(860)弘法大師の孫弟子道雅法印の開基といわれている。大日如来坐像寛延元年(1748)長岡藩主第七代牧野忠利公が家内安全、武運長久を祈願して勝軍地蔵菩薩を寄進。裏山の愛宕神社の本尊となっている。
 ご本尊大日如来は、長岡藩主第九代牧野忠精公の寄進によるもの。面長でふくよかなほほ、見開いた目、しっかり結んだ口元、厳しい面相の中に優しさが感じられる。

妙圓寺妙圓寺(みょうえんじ) 長岡市下塩2518 TEL 0258-52-5524
 長岡藩牧野候の時代になると当寺が丁度北東(表鬼門)に当るので、長岡藩の「鬼門金神除介」の寺になる。以来450年鬼門金神の祈願所として日々に参詣者が多い。

妙楽院妙楽院(みょうらくいん) 長岡市栃掘2831 TEL 0258-52-1255
 当山は大同年間(806~809)に南都の僧、妙楽が諸国を巡錫してこの地に来て、行基菩薩の御作である聖観世音菩薩を当地より北北西八百メートル程離れた小高い丘、地名大岡(大阜)に安置し開創されたと言う(年代不詳)。大宝律令(701制定)に栃堀保を見ることができる。後に栃堀の澤田という場所に移転。本尊は上品下生阿弥陀如来立像である。観音堂を中心に諸堂は度々火災、災害に遭い盛衰を繰り返し、正徳3年(1713)に高僧教智(宝光院尊俊の弟子)が中興の祖として無量山聖徳寺を興隆復興された。現在の本堂は明和4年(1767)建立。弘法大師が北国巡錫の折、民衆の安穏を願い高さ一尺程の虚空蔵菩薩像(弘法大師御作)を勧請し安置されている。弘仁11年(820)8月空海造之とある。

浄土真宗                                ページトップへ

西嚴寺西嚴寺(さいごんじ) 長岡市谷内2-7-1 TEL 0258-52-3089
 天文21年(1552)、越後新発田城主芝田因幡守長俊(佐々木三郎盛綱の子孫)の一族である佐々木左衛門尉了閑が、一族の菩提をとむらうために阿弥陀堂を建立した。のちに了閑は討ち死にしたが、その子赤倉が佐々木家再興のために大阪へのがれ、本願寺の僧となって帰郷した。阿弥陀堂を寺院として、寺号を佐々木山西嚴寺と称し、現在に至っている。

正福寺梵鐘正福寺(しょうふくじ) 長岡市吉水735 TEL 0258-52-3760
 昭和3年、昭和天皇即位の御大典記念に京都で鋳られた梵鐘がある。名鐘であることから大戦での供出をまぬがれた。

曹洞宗                                 ページトップへ

観音寺(谷内)観音寺(谷内)(かんのんじ) 長岡市谷内2-7-13 TEL 0258-52-2424
 当寺は、もと天下島に観音堂として在ったとのことであるが、常安寺九世月堂善耕和尚が現在地に移築して常安寺末山としたものである。昭和32年には、二十四世鉄牛大俊和尚が発願して萱葺屋根を改修し瓦葺にしたが、昭和56年雪に対して、最高に強いとされる銅板葺に再改修。その際本堂土台一部改修、裏庭の池、庫裡二階改修等を行い、また清水三郎翁により本堂内部、本尊、不動明王等の塗り替えを行った。かくして同年11月8日落慶法要を催し現在に至っている。

玉泉寺玉泉寺(ぎょくせんじ) 長岡市泉853 TEL 0258-52-2949
 玉泉寺は慶長元年(1596)に常安寺の末寺として地蔵尊を本尊として開かれた曹洞宗の寺である。伽藍は正徳明和の時代に再建大改修されている。最古の過去帳は寛永元年(1624)からのものがあり、それ以来御釈迦様の理念を中心に道元禅師の流れを汲み開山以来三百八十年宗教活動が続いている。亦その活動を幼児教育まで広げ保育園の経営が四十年続いている。

静御前の墓高徳寺(こうとくじ) 長岡市栃掘487
 栃堀の山手にある当寺の小高い雑木林の中には、源義経の恋人・静御前のお墓がひっそりと立っている。

常安寺常安寺(じょうあんじ) 長岡市谷内2-7-7 TEL 0258-52-2318
 天文16年(1547)に長尾景虎(のちの上杉謙信公)によって創建された。開山は瑞麟寺5世泰廉門察和尚。天文20年(1551)3月謙信公より仏供田と七堂が寄進され、10月には開基の験として、秋葉三尺坊大権現を管掌する別当般若院所領とあわせ栃尾城のふもとにあった法用寺の寺領を寄進された。弘治元年(1555)後奈良天皇の勅願寺となった。謙信公没後、景勝公は、父謙信の深く帰依した当寺を殺生禁断の地として安堵された。慶長3年(1598)上杉氏が会津に移封するにあたり、常安寺も3月に会津へ、同6年10月に米沢へ移った。元禄14年(1701)に現在地に再建された。寺宝として謙信公直筆の「五言対句」や謙信公画像、兜の前立て、景虎および景勝の安堵状など、貴重な文化財が伝わる。

瑞雲寺瑞雲寺(ずいうんじ) 長岡市小貫3028 TEL 0258-52-3530
 文治3年(1187)の創設。源平合戦において活躍した佐藤継信・忠信の安否を尋ねて、福島県飯坂より来越した音羽の前が剃髪して庵を結んだ(瑞雲庵)ことに始まる。寛永年間に禅僧を迎えて瑞雲寺に改称。開基・檀越は阪神電鉄の創始者、外山脩造を生んだ肝煎の外山家。伽藍は江戸時代初期の禅寺の豪壮な禅宗形式をいまに残す。瑞雲寺寺宝外山家の私社であった羽黒神社が村々の鎮守となって現在地に建立されると別当となり、同社を管掌した。幕末には朝廷より三度「御綸旨」を賜る。羽黒大権現の本尊、十一面観音をはじめ長岡藩主より拝領の雛人形、黄檗宗開山の隠元の書、戊辰戦争時の米沢藩兵の落書、もみの大木など、多くの文化財を有す。

善昌寺善昌寺(ぜんしょうじ) 長岡市原町2-2-31 TEL 0258-52-2412
 萬安山と号し、清滝山常安寺四世簾叟秀頓の開創になる。元禄年間(1688~1703)火災にあって全焼。五世智廓淳察が再建した。文政年間(1818~1829)再度全焼し十三世花翁樹珊が現在地に移建、天保年間(1830~1843)にそれぞれ庫裡本堂を再建した。善昌寺の長命水本堂北側の一隅に、戊辰戦役仙台藩援軍黒沢隊長八木高明他五名の墓がある。社会福祉法人善昌寺保育園併設。

曹源寺曹源寺(そうげんじ) 長岡市北荷頃769 TEL 0258-52-2791
 寺伝によると森上に草庵を結んで修行に励んでいた大龍音吉禅師が、ある夜「庭の藤づるを伝ってき、その根元に至ったならば、そこに一宇を建立するがよい。必ず栄えるであろう」と夢枕に立った御仏の声に導かれて、この北荷頃の地に草庵を結び、草源寺と称した。そして公器賢章禅師を招き、当寺を整備して曹源寺と改め、公器禅師がその初代開山となった。また栃尾城主の北畠山城守の帰依するところとなり、当寺の開基となった。室町時代の寛正年間のことである。その後天正年間には栃尾城主神子田長門守、慶長年間に松平筑後守の菩提所となり、また天保年間に今日の大伽藍が建てられた。本尊は聖観音菩薩と伝えられている。寺宝には高さ3.6メートルという県内有数の大きさである金色の寄木づくりの延命地蔵尊(市文化財)があり、ほかにも、多くの貴重な仏像が祀られている。特に養蚕の神、蚕養大明神、(かいこがみーしろがみ)は手に繭をもつ特異な像容として注目されている。
延命地蔵菩薩延命地蔵菩薩
 高さ3.6m、金色の寄木作りの坐像。安政2年(1855)当寺19世端道和尚の発願によって造像。同和尚は、この悲願成就のために1千体の小地蔵尊を彫刻し、施主に分ち与え、もって布教に努めた。

大栄寺(だいえいじ) 長岡市西中野俣1173 TEL 0258-58-2127
 本尊に聖観世音菩薩を祀る。
 慶長四年の開創。長岡藩主牧野公と因縁深く、牧野公の許可をもって9坪の山門を建立したという。

長福寺長福寺(ちょうふくじ) 長岡市平2-5-7 TEL 0258-53-3420
 江戸時代、承応年間頃に起こった萬海騒動で平村は欠所となり、関係者は所ばらいになったといわれる。その後、新たに寺が建立された。寺名は騒動前と同様の長福寺であった。創設年代は詳らかではないが宝暦年代と推測される。現本尊は如意輪観音であるが、当初は現在寺宝となっている阿弥陀如来であった。蒔絵が施される流麗なお姿で、厨子には三ツ葉葵の紋章があるところから、徳川家となんらかの関係があったものと推測されている。当寺には鴉が島から取水する大江を測量し開墾した酒井長兵衛の師、由井正雪の乱の残党であり、義賊といわれた萬海上人の墓や道祖神には珍しい袴姿の像、長尾高景が安堵した守門大明神の社領、薬師の地を象徴する薬師如来などがある。なお現在の堂宇は昭和45年に再建されたものである。

東光寺東光寺(とうこうじ) 長岡市東中野俣繁窪512 TEL 0258-58-2140
 開山簾叟秀頓大和尚は、栃尾の常安寺の四世で、天正年間(1573~91)に開かれ、その後火災に遭い、今の東中野俣に再建された当寺の本尊仏である大日如来は、平安時代後期の作といわれ、栃尾最古の仏像(県指定文化財)である。像高約56センチメートルの桂材の寄木造り、漆箔仕上げ。この像がもたらされた経緯について次のような説がある。一説に、見附の本明の観音坂で泰澄上人が一寺を建立し、自刻の大日如来を安置した。寺は約600年続いたが、建武年中に野火で一山が炎上、その際に大日如来は長王寺の管長、弘然上人に救出され、当寺に移された。また一説に、栃尾原の善昌寺の地、大日畑にいったん落ち着いたあと、謙信の老臣、栃尾城主の本庄実乃が鬼門除けに当寺に祀ったともいう。その後、真言宗から曹洞宗へとなり、常安寺の末寺となった。

木造大日如来坐像木造大日如来坐像
 像高56.5cmの小像だが藤原時代後期の典型的作品。桂材寄木作り漆箔仕上げ。条帛をつけ智拳印を結び結跏趺坐している金剛界大日如来で、全体として優美な姿をもち顔は温和。寺伝によれば、この大日如来は建武年間に当寺に将来されたもので、本尊であったと伝えられている。

木造毘沙門天像木造毘沙門天像
 東光寺大日如来の脇侍として伝わる。高さ91㎝余、材質は椿の一本彫り。唐風の鎧を着、邪鬼を踏まえ右手に錫杖を持ち、左手に宝塔を掲げている。兜はかぶっていない。南北朝時代の作と言われる。市文化財。

木造不動明王立像木造不動明王立像
 東光寺大日如来の脇侍として伝わる。高さ85㎝余、桧の一本彫り。右手に利剣、左手に羂索を持つ。加楼羅炎の光背があり、徳利の東部をはっきりと浮き出している。南北朝時代の作と言われる。市指定文化財。



東昌寺(とうしょうじ) 長岡市中74
 総欅作りの優雅な寺であったが平成16年に焼失。

日蓮宗                                 ページトップへ

雲帯寺雲帯寺(うんたいじ) 長岡市一之貝907 TEL 0258-53-5107
 市指定文化財となっている釈迦如来坐像は像高32cmの寄木造り。刀痕は鮮やかで衣文もよく整理され、流れが躍動して美しく、肩・胸の肉付きが豊かで堂々としている。

円隆寺円隆寺(えんりゅうじ) 長岡市入塩川2371 TEL 0258-53-2188
 当山は康暦元年(1379)に、村田妙法寺三世の円隆院日運聖人により栃尾熊袋に開創された。慶長5年(1600)上杉氏の残党による栃尾城攻落に当り、神子田城主の祈祷寺なるが故に、先づ熊袋の円隆寺を焼けということで焼失の厄にあい、そのため現在地の2キロ程奥の地塩川部落に移った。其の後宝暦5年(1755)の大凶作のため等により、明和2年(1765)挙村現地に移転した。熊袋に二百二十二年、塩川元屋敷に百六十四年、現在地には昭和57年で二百十八年、これを通算すれば、開創以来六百四年の長い閲歴となる。

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